先日心療内科の診察日だったので、以前書いた退職の決意↓を主治医にも伝えました。
今まで数回診察していただいて、心療内科の医師にとっての判断基準とか、「こういう状態でこういう指導はしづらいんだろうな」とかの微妙なところが垣間見えて、いろいろ思うところがあったので、今日はその話を。
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主治医とのやりとり経緯
まず、自分の状況と医者に行こうと思ったきっかけはこんなことでした。
元々タバコのニオイが嫌いだったんですが、歩きタバコしてる人に遭遇したときのイライラ感が激しくなってきたり、混んでる道で譲り合いできない人とかを始めとするマナーの良くない人にいちいちイライラしてしまって。
普段の生活の中でそういう怒りの感情に支配されすぎて、家族にも心配かけていたのです。
初診から前回の診察まで
初診時は、上記のことを訴えて、医師の診断を待ちました。
しかし、医師は私の話をPCに打ち込むばかりで、あまり踏み込んだ質問とか、それはこういう症状だからこういう治療をして行きましょう、みたいな診断的なことはしてくれませんでした。
主治医
主治医
2回目以降も、あまり進歩がなく。
主治医
主治医
のループ。
今回の診察
主治医
といつものように聞かれましたが、今回の答えはいつもと違います。
主治医
主治医
主治医
いい選択って言われたことにちょっとびっくりしました。
今までなんとか現状維持しましょうと言っていたのに、私がそれに反するような決断をしたことを、受容してくれた。
むむむ。
ホッとしたような、話違わない?というような、複雑な気分。
思ったこと
ここから先は完全に素人の私見です。
医師は、実際に「労務不能」な状態になっているという事実が発生しないことには、休職とか、休養とかの診断は下しにくいのだろうなと改めて感じました。
メンタル不調のタイプにもよるのかもしれないけれど、既に「会社に行けない状態」になっちゃった人(布団から出られず数日休んでます、とか、電車に乗り込むことができず会社行けませんでした、とか)については、実際に「労務不能」となってしまっているので、休養が必要である旨の診断を出しやすいのでしょう。
でも、頑張っちゃう(頑張れちゃう)タイプの人は、なんとか会社に行けてしまって、でもその裏では相当にエネルギーを消費していて心身ともに疲れ果てているにも関わらず、「これはもうヤバイかも」となって医師にかかっても、その時の状態としては「なんとか会社に行けている」。
そうなると、医師としてはその状態を最低限キープすることを促すしかないのかな、と。
決めるのは自分
医師に自分のことを全部わかってもらうのは不可能に近い。
でも、なんとなく判断を医師に委ねてしまいがちな自分がいました。
当たり前だけど、自分の人生を決めるのは自分。
医師はその決断をするためのアドバイザーであって、決定者ではない。
「自分の人生を決めるのは自分だよ」
いっぱいいっぱいになってると、そこがうやむやになってしまう気がしました。
おわりに
この記事では、主治医に退職を告げた時の会話の記録から自分が感じたことを紹介しました。
私と同じように、「こんなにエネルギー使ってなんとか会社行ってるけど、辛いよ。でも医師は現状をキープしろと言っているから、まだ休まなきゃいけない状態ではないのかな・・・」っていう袋小路的な状況になっている方に、何か感じていただける部分があったら嬉しいです。